後藤又兵衛を訪ねる

 

大阪府 玉手山公園 (2008/7/21 撮影)

「玉手山に『後藤又兵衛の碑』がある。」
数ヶ月前にネットでチラリと目にしたフレーズです。

玉手山というのは大阪は柏原市にある小さな山。そして、 そんな玉手山には、私は幼稚園の遠足で行ったことがあるのです。
あれから28年、現地のことは何も憶えておりませんが、幼稚園児に行けた所であれば大人に行けない訳がないのです。
思い立ったが吉日、とりあえず事前調査や確認の類は全くなしに、デジカメだけ持って家を出てみました。


近鉄は国分駅に到着。
駅前の大雑把な周辺地図から目的地の方向を把握、何となく登り坂を進んでみました。

歩いてて思ったのですが、今日はすっごい暑い。 そういえば昨日の天気予報では梅雨が明けて猛暑になるとか言ってたような。。。
炎天下っていうのでしょうか、日焼け止めも塗っておりませんし、このままではえらいことになる気しかしません。
独りで歩いてるとこんな不安ばかりが湧いてくるのですが、10分も歩いた頃でしょうか、周りはどう見ても閑静な住宅街。
地名に「山」と付くだけにもっとこう山道を予想してたのですが、この道で合ってるのか?と、心配になってきたころに出てくるのが道案内。 柏原市の絶妙のフォローとみてよいだろうか。

↑ 住宅地にたたずむ案内標識。 


やがて細くて急になった登り坂を登りますと、見えてきたのが玉手山公園の入り口らしきゲート。
かつて『玉手山遊園地』という名前だっただけあって、立派な入り口です。

↑ 無人の入場ゲートは勝手に入ってもよさそうな雰囲気。 

ゲート横に玉手山公園全体の地図を発見。


この地図によると、どうやらこの公園には入り口が3箇所あるようですが、どうやら正解を引いたようです。でたらめに登って来ただけでしたが、 又兵衛はもう目と鼻の先です。

入場ゲートをくぐってすぐ、目の前の階段を登ると現れたのがコチラ。

つわものどもが夢のあと、大阪夏の陣の激戦地も400年経った今ではポツンと供養等が建つのみ。
戦国時代最後の大戦の一つがこの辺りで繰り広げられたなんて想像がつきません。

↑ 供養等に刻まれる文言 

さらに進むこと数十メートル、姿を現しました『後藤又兵衛基次の碑』です。


周りにも案内板などいくつか在りますので、ちょっと引いてみます。



        !!?

隣にも石碑が在るじゃないですか。

↑ 吉村 武右衛門。
案内板の説明によると後藤又兵衛の部下で、又兵衛の最後に介錯をした人だそうです。
決して有名ではありませんが、こうして碑が残るということはこの人物も歴史に名を残した英雄です。 

その他の案内板の写真も載せておきます。

↑ これらを読めば、この地での戦の大体のことが解かります。本田・伊達・真田など豪華な名前が登場します。 

今回は戦国の旅ということで玉手山へ来てみましたが、駅からそれほど遠くもなく、なかなかに歴史の穴場っぽいものを見つけることができたのではないでしょうか。 周囲も自然に囲まれており、季節によっては弁当を持ってきても楽しめる場所です。
とはいえ、今日はさすがに暑いので、周囲に木陰を探したいところ……ん?


小林一茶の碑

そんなものまであるとは、恐るべし玉手山。
折角なので、その碑も見に行ってみましょう。


森に踏み込んでゆくと、たしかに在りました。 碑に何と書いてあるのかは、さっぱり解かりませんが。

↑ 「一茶」の部分しか読めん。。。 


以上、思った以上に歴史の宝庫な玉手山でした。