徳川家康を訪ねる

 

両国 (2018/4/11撮影)

都営地下鉄大江戸線の両国駅で下車して地上に出ると、目の前に江戸東京博物館なる施設が現れます。
そんな博物館の駐車場への車道沿いの歩道を歩いていくと、徳川家康公の像が見えてきます。



像の位置が高いので下から見上げるアングルになりますが、相手は江戸を治めた将軍様ですから仕方ありません。



あらためて、引いて像の全体を見てみます。


亀に乗ってるね。

歩行者の目線から見ると、むしろ亀の方が目立つくらいのしっかりとした造形と大きさ。



あいにくの曇り空のせいか、それともかぶっている笠のせいか、家康公のお顔が陰って見えにくいので、カメラの明度を上げて撮ってみました。



江戸東京博物館には入らなかったのですが、いかにも観光客といった風の外国人の方々が入っていくのが見えたので、 海外からの東京の定番観光コースに入っているのかも知れません。
ただ、地上の敷地内に居た時には気付かなかったのですが、近くのJR両国駅のホームから見ると、思いのほか大きな施設でありました。





岡崎公園 (2019/4/27撮影)

愛知県。名鉄東岡崎駅から徒歩10分ほどで、岡崎城の天守閣が見えてきます。 岡崎城は、家康が浜松へ拠点を移すまでの居城だった場所です。


かつての岡崎城が、現在は岡崎公園となっておりまして、徳川家康の像が多数在ります。


■徳川家康公銅像




これがメインと言っていい家康像です。 容貌から見て、日本でも指折りの大名となった後の徳川家康でしょう。



■松平元康像



駿河に今川義元が健在の頃の家康は、松平元康と名乗っており、今川義元の手下としていつも先陣を切らされていました。 そんな今川義元が桶狭間で織田信長に討ち取られると、松平元康はすぐに今川から独立して織田家と同盟し、徳川家康と名乗りました。

↑ 造形はなかなか残念なものがあります。 


■しかみ像

三方原の戦いで武田軍にフルボッコにされた家康が、無様に逃げ帰った浜松城で、この時の情けない自分を忘れないために描かせたといわれるしかみ像です。 これは、その絵を石像にしたものです。






■像と座るベンチ


見ての通り、家康と一緒に座っている感じになるベンチです。
家康ベンチと竹千代ベンチが並んでおりまして、とにかく家康づくしです。



岡崎公園には、銅像石像合わせて家康像がたくさん在ります。 できれば家康ばかりではなく、古参の名臣たちが像になればと思うのですが、これはこれで家康ファンにはたまらないのかもしれません。
(家臣の内、本多忠勝像だけは存在します)


ちなみに岡崎城天守閣の下には、例によって亀が居ます。ただ、両国の家康像が乗っていた亀よりも、かなり獰猛です。