平将門とは
 
 
平将門は平安時代中期の下総国の武将です。

若い頃には京へ上り、時の権力者だった藤原忠平に仕えたものの、たいした評価を得ることもなく、 満足な官職を与えられることもなかったため、国元に帰りました。

下総国での周囲との関係は過酷で、常陸の豪族である源護の一族やその姻戚の平家一門が、次々と将門に対して軍を向けてきました。将門はこれらをことごとく撃破します。
そのような地方のいざこざは、すぐに朝廷の知るところとなり、将門は平安京へと召喚されて問い詰められることになりました。
ところが、ここで朱雀天皇の元服による大赦が発効され、将門は再び国元に帰還しました。

帰国後も平良兼ら平家一門が兵をもって将門を攻撃してきます。ここでも将門は勝利し、良兼軍を筑波山へと追い散らしています。 関東での将門の名声が高まっていきました。


きっかけは国守に追われている藤原玄明を庇護したことでした。
将門は常陸国府へ赴き、玄明の追補中止を求めるました。すると、国府はその要望を拒否するだけでなく、軍を繰り出してきたのです。 やむなく将門はこれを返り討ちにし、そのまま国府を征圧しました。これで将門は、朝廷から謀反人とされてしまいます。

これで開き直った将門は、上野、下野など関東の国府を次々と落としてゆき、関東一円を勢力下におきました。 そして自らを「新皇」と名乗って、独立しようと画策します。


そのような将門の快進撃もつかの間、下野の押領使である藤原秀郷が反将門の兵を挙げました。
じつはこの時期、朝廷からも将門討伐のために征夷大将軍が出撃していたのですが、軍略に長けた藤原秀郷は征夷大将軍が到着する前に将門を討ち取り、 平将門の乱を鎮圧しました。
将門が新皇となって、わずか二ヶ月後のことでした。