真田信繁(幸村)を訪ねる

 

三光神社 (2012/11/24撮影)

大阪市は玉造の三光神社。
JR玉造駅から南西に10分ほど歩いた所に在ります。 ここに真田幸村の像が在ると聞いてやって来ました。

↑ 三光神社の北側の入り口 


本堂への階段の横に発見しました、真田幸村像です。


大阪冬の陣において、真田幸村が大阪城の南側に『真田丸』という砦を築いて奮戦したのが、この地である言われています。 たしかに大阪城まで歩いて行ける距離ではあります。

そしてもう1つ、三光神社で有名なのが、この抜け穴。


と、別々に紹介しましたが、実は幸村像と抜け穴はこんなに近くに在ります。


三光神社では、幸村デザインのお守りを売ってましたので、ついつい買ってしまいました。

↑ 『勝守』と書かれています。
財布に入れてますが、なかなか勝ちません。。。 



安居神社 (2014/6/17撮影)

大阪府は大阪市天王寺区に在ります安居神社。
少彦名神(スクナビコナノカミ)と菅原道眞公が御祭神というだけでも豪華なものですが、 それよりもこの安居神社は、真田幸村(信繁)の最期の地として知られています。

↑ 安居神社由緒略記 

大阪夏の陣にて激闘を演じた幸村は、この地の松の下で力尽き、討ち取られたといわれています。


北側の住宅地から『天神坂』と書かれた坂を下ると、入り口を発見。



例によってこの入り口は裏門だったようで、入るなり現れたのが本殿でした。

↑ 安居神社本殿 

本殿向かって右手に『真田幸村戦死跡之碑』と記された碑が在ります。

↑ 袂にはお供え物の飲物が。 

この碑の裏手にそびえる松の木の下が、幸村が力尽きた場所であるといわれています。

↑ 松の下には「さなだ松」の標識。 

そして碑のすぐ横に在りました。 『真田幸村公之像』

↑ 像前の説明文の中に「この銅像にお手をお触れください」という神社からのメッセージがあるため、訪れる人に触られまくっています。 



↑ 台座の裏を見ると『平成21年12月』とあります。意外と新しいのね。 


さて。安居神社には出入口が3ヶ所在りました。
南側の国道25号線沿いが最も整備されているように見えたので、正面入り口になるのでしょうか。



しかし鳥居は西の松屋町筋側が特に大きいので、もしかするとこちらが正面のような気も。



※おまけ
かつてこの神社では名水が湧き出ており、水が涸れた今でもその名残が在るという。
たしかにそれっぽい標識は見つけたのですが、標識の周囲は植木やら雑に置かれたホウキやら、ふつうに物置状態。
どこがそうなのかさっぱり判らず。