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太田道灌を訪ねる |
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江戸城といえば、江戸時代の徳川幕府の居城であり、明治以降は天皇のおわす皇居です。
そんな江戸城を築城した太田道灌のことは意外と知られていません。
意外と知られてはいなくても、知っている人はいるわけで、
江戸城の周りを走る山手線の沿線には太田道灌の像が複数存在しています。
日暮里駅前 (2014/9/28撮影)
JR山手線の日暮里駅前に馬上の太田道灌像が在りました。
東京国際フォーラム (2014/9/28撮影)
JR東京駅と有楽町駅の間、東京国際フォーラムという施設に太田道灌像が在りました。
新宿中央公園 (2017/3/7撮影)
東京は新宿駅から西方向、都庁を越えた所に在ります、その名も新宿中央公園。
公園内は、裸の女性や裸の男性の像ばかりが目立ちます。
そんな公園の北の端に太田道灌の像が在ります。
像は二体ありますが、左側の立っている方が太田道灌です。
日暮里や東京の道灌像とは違い、新宿の道灌は女性の像とワンセットになっています。
これは道灌の『山吹の伝説』を像にしたものです。
山吹の伝説とは。
ある日の外出中に雨に遭った道灌は、付近の民家を訪ねて蓑を借りようとしました。
民家から出てきた少女が黙ってさしだしたのは、蓑ではなく山吹の花一輪でした。
蓑が欲しいのに花を差し出された道灌は怒り、雨の中を帰って行きました。
道灌がこのことを家臣に語ったところ、歌に詳しい近臣の一人が言いました。
その少女は、「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」という兼明親王の歌に掛けて、
貧しくて蓑ひとつ無いということを伝えたのではないかと。
道灌は驚くとともに己の不明を恥じたといいます。
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↑ たしかに山吹っぽいものが乗っています。 |
鎌倉 太田道灌の墓 (2021/4/20撮影)
鎌倉駅から源氏山へ向かう道中にあります英勝寺。ここがお寺になったのは江戸時代なのですが、さらに前の室町時代、ここには太田道灌の鎌倉屋敷が在りました。
それを伝える碑が建っています。
さらに英勝寺の裏手にあります墓地(北条政子の墓などがある)の横から、源氏山への細い登山道が通っておりまして、その登山道の脇に小さな墓が在ります。
これが、『太田道灌の墓』です。
源氏山の源頼朝像を見てから山を下る途中にたまたま見つけたもので、不意に現れた大人物の墓に驚きました。
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