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太田道灌とは |
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太田道灌は室町時代、応仁の乱の前後の時期に関東で活躍した武将です。
戦国時代でいえば初期ですので、織田信長や武田信玄を読んでも登場しませんし、『信長の野望』などの歴史ゲームにも登場しません。
また、同じ時期である応仁の乱は主に京都とその周辺を舞台としていますので、ここにも道灌は登場はしません。
よって、太田道灌という人物の存在を知らない人は意外と多いのかもしれません。
当時の関東は、上杉家の分家同士での争いや、扇町上杉の家臣だった長尾氏の起こした乱などで戦乱が絶えず、
情勢もめまぐるしいのでなかなかにややこしい。
なので、ここでは詳しくは書けませんが、太田道灌は主に約30年続いた享徳の乱を戦い抜き、扇町上杉を助け続けました。
戦略・戦術に長け、数々の道灌の戦術が現在に伝えられています。
今川氏の家督争いの際には、伊勢盛時(北条早雲)と会談を行ったことでも有名ですが、
その他にも逸話の多い人物です。
やはり中でも「江戸城を造った人」としてが最も有名です。
ただ、乱世の英雄は平時には疎まれるもの。
そのために悲運に終わった英雄は数えきれないほどいます。
道灌もまた同じく、享徳の乱の後に権勢を疎まれて暗殺されています。
後の戦国末期、徳川家康が豊臣秀吉の命令で領地を江戸へ移された時のエピソードは、
さも家康が未開の僻地へと左遷されたように描かれることが多いのですが、
そのはるか昔から関東で勢力を持っていた道灌を初めとする諸将に失礼な気もしますね。
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