大村益次郎    
 
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(2013/8/31撮影)
東京九段は靖国神社。
正面から鳥居へ向かうと見えてくるのが、大村益次郎の像です。

      


日本でも皇居の楠木正成像と並んで有名な像です。
かなり高い位置から見渡しておられます。

    
     像の下に在りますプレートです。 



(2013/12/30 撮影)
大阪城の南西、難波宮跡の西隣に在ります大阪病院。
ここの南東角に在りますのが、『大村益次郎殉難碑』です。

     敷地の南東角、けっこうな大きさ。 

京都で刺客に襲われて重傷を負った大村益次郎はこの病院へ転院してきましたが、
傷が癒えることはなく、この地で亡くなりました。
そのため、この地に碑が在るというわけです。



(2011/1/16 撮影)
大阪市西区江戸堀の江戸堀フコク生命ビル。
その敷地の端に在るのが「大村益次郎先生寓地址」の碑。

     (クリックで大きい写真) 
     碑の横に在りますプレートです。 

日本陸軍の祖ともいえる軍略家の益次郎ですが、
当時はまだ「村田良庵」と名乗り、ここから緒方洪庵の適塾に通っていたそうです。



(2015/9/22 撮影)
京都は京阪電車の三条駅で下車。
いかにも京都な鴨川の風景を見ながら西へ橋を渡る。

     鴨川ってくらいなのでカモが居るのかと思いましたが、何やら白い鳥が見えるのと、その他「カ〜カ〜」という声が聞こえていました。 

この辺りに大村益次郎の殉難の碑が在ると聞いて来てみたのですが、
さっそくそれらしい物が見えてきました。

     (クリックで大きい写真) 

しかし碑の左下をよく見てみると、「北へ約壹丁」と書かれています。
ココじゃないのか!? 紛らわしい。
今まで何人の人が騙されてきたのだろうか。

案内の碑にあった通り、北に1ブロックほど歩きますと、今度こそ見つけました。

     高瀬川の向う岸な上に手前に木も在るため、気づかない人も多いのではないか。 


     (クリックで大きい写真) 

左が『大村益次郎郷遭難之碑』、
右が『佐久間象山先生遭難之碑』。
お二方がまったく同じ場所で襲われたわけではありませんが、場所としては近いということで、並んで建てられています。

     (クリックで大きい写真) 

     こちらは案内の立て札です。

(クリックで大きい写真) 


さらに、遭難の碑から北東に斜め向かいといってもよいくらいの位置に、
実際に大村益次郎が刺客の襲撃を受けた場所の碑が在りました。

     (クリックで大きい写真) 

     引いて撮るとこんな感じ。
鴨川の川床の店へつながる入口かな。

(クリックで大きい写真) 




(2015/9/22 撮影)
京都は四条から東、「霊山」という名で有名な京都護国神社。
坂本龍馬と中岡慎太郎の墓と像で有名な地なのですが、ここに大村益次郎の墓も在ります。

     周りにも沢山の墓が見えますが、
ここには主に幕末の志士たちの多くの墓が在ります。

ちなみに上の方に横向きに並んで写っている墓は、高杉晋作や久坂玄瑞ら長州志士の墓だったと思います。

(クリックで大きい写真) 




 
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