大村益次郎を訪ねる

 

靖国神社 (2013/8/31撮影)

東京九段は靖国神社。
大鳥居をくぐって参道を進むと見えてくるのが、大村益次郎の像です。


日本でも皇居の楠木正成像と並んで有名な像。 かなり高い位置から見渡しておられます。






大阪市西区江戸堀 (2011/1/16 撮影)

大阪市西区江戸堀の江戸堀フコク生命ビル。 その敷地の端に在るのが『大村益次郎先生寓地址』の碑です。


↑ 碑の横に在りますプレートです。 

後に日本陸軍の祖ともいえる軍略家となる大村益次郎ですが、 当時はまだ「村田良庵」と名乗り、ここから緒方洪庵の適塾に通っていたそうです。



京都 三条 (2015/9/22 撮影)

京都は京阪電車の三条駅で下車。
いかにも京都な鴨川の風景を見ながら西へと橋を渡ります。

↑ 鴨川ってくらいなのでカモが居るのかと思いましたが、何やら白い鳥が見えるのと、その他「カ〜カ〜」という声が聞こえていました。 

この辺りに大村益次郎の殉難の碑が在ると聞いて来てみたのですが、さっそくそれらしい物が見えてきました。


しかし碑の左下をよく見てみると、「北へ約壹丁」と書かれています。
ココじゃないのか!? 紛らわしい。
今まで何人の人が騙されてきたのだろうか。

案内の碑にあった通り、北に1ブロックほど歩きますと、今度こそ見つけました。

↑ 高瀬川の向う岸である上に、手前に木もあるため、存在に気づかない人も多いのではないか。 


左が『大村益次郎郷遭難之碑』、
右が『佐久間象山先生遭難之碑』。
お二方がまったく同じ場所で襲われたわけではありませんが、場所としては近いということで、並んで建てられています。



↑ こちらは案内の立て札です。 


さらに、遭難の碑から北東方向に斜め向かいの位置に、 実際に大村益次郎が刺客の襲撃を受けた場所を示すの碑が在りました。


明治二年九月四日の夕刻、益次郎はこちらの旅館で会食中に、八人の刺客の襲撃を受けました。
重傷を負った益次郎は一命をとりとめましたが、傷口から菌が入り敗血症となり致命傷となりました。



大阪病院 (2013/12/30 撮影)

大阪城の南西、難波宮跡の西隣に在ります大阪病院。
この病院敷地の南東角に大きな『大村益次郎殉難碑』が建てられています。



京都で刺客に襲われて重傷を負った大村益次郎はこの病院へと転院してきましたが、 傷が癒えることはなく、この地で亡くなりました。