源義家とは
 
 
源義家は平安時代中期、河内源氏の本拠地である河内国にて、源頼義の子として生まれました。
「八幡太郎」という呼び名で有名ですが、これは7歳の時に石清水八幡宮で元服したからです。

陸奥守に任ぜられた父の頼義が安倍氏と戦った前九年の役に従軍。
その際は苦戦の末に、清原氏の助力を得て安倍氏を退けました。

それからは都にて、主に白河天皇の護衛を行っています。

1083年に陸奥守となりましたが、清原氏の内紛に介入したことから、後三年の役に発展。
戦いには勝利したものの、朝廷からはこの戦自体を義家の「私戦」とみなされてしまい、恩賞が出ませんでした。
味方の武士達は恩賞があるからこそ命をかけて戦うもので、戦ったのに朝廷から何も出ないというのは、義家にとっては非常にまずい事態です。
そこで義家は私財をはたいて、味方として戦ってくれた武士達に恩賞を与えました。
この義家の行為が、武士たちの好感を呼び、源氏の名声が関東でも高まったのでした。
子孫である源頼朝による鎌倉幕府成立への流れはここから始まります。


義家の次男、源義親の子孫が源頼朝、
三男の義国の子孫が足利尊氏や新田義貞であるので、
この八幡太郎義家は、源氏の中興の祖といえます。