楠木正成を訪ねる
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千早赤阪村
(2012/5/5撮影)
大阪は河内長野市寺元に在ります観心寺。
入り口左手に楠木正成公の像がありました。
↑ そのまま観心寺に入ってみようかと思いましたが、入場有料ということが判明。 入場は止めて、千早赤阪村の方へ急ぐことにしました。
お昼から急に思い立っての旅だったので、時間に限りもあることですし。
カーナビを頼りに千早赤阪村役場の方を目指していたところ、目的地の少し手前にて「下赤坂城」への案内標識を発見。
細い道を登ってみますと、『下赤坂城跡』と刻まれた石碑が立っておりました。
↑ 大きな案内碑です
↑ 案内板もあり。
↑ 周囲は棚田の景色で癒されます。
千早赤阪村は大阪府唯一の村です。そんな千早赤阪村役場から少し東へ進むと『楠公誕生の地』です。
↑ 小さすぎる「道の駅」と資料館などが集まった場所に在りました。
道路を挟んで向かいには『楠公産湯の井戸』の案内見えます。
付近の畑に挟まれた小道を進むと木の階段が現れますので、その階段を下ったところに在りました。
↑ 『楠公産湯の井戸』
↑ 案内板
楠公誕生の地から南東に移動しますと、建水分神社(たけ みくまりじんじゃ)の入り口が見えてきます。
境内に入っていきますと、敷地内にもう一つの神社、南木神社が在りました。
もちろん祭られているのは楠木正成です。
↑ 『南木神社』
建水分神社から今度は南西へ進むと、『上赤坂城跡』への標識が見えてきました。
↑ 石には「此の山頂、上赤坂城跡」と刻まれています。
↑ 案内板
登ってみたかったのですが、子連れで夕刻となり時間的にも無理と判断。残念ながら今回は麓の写真だけとなってしまいました。
↑ このような道が山頂へと向けて続いておりました。
皇居
(2014/9/28撮影)
東京の皇居に在ります楠公像。
日本で最も有名な銅像といっても過言ではありません。
周囲が広大な芝の公園になっているため、スズメにも愛される楠公像でした。
湊川神社
(2015/12/28撮影)
兵庫県はJR神戸駅のすぐ北側に在ります湊川神社です。
湊川といえばその名の通り、楠木正成最後の戦いの場となった湊川の戦いが行われた場所です。後年、その地に湊川神社が建てられたのだそうです。
湊川神社の境内に楠木正成公の墓が建てられておりました。
↑ 墓石には『嗚呼忠臣楠子之墓』と刻まれています。
この墓は後の江戸時代に、水戸の黄門様こと徳川光圀公によって建立されました。徳川光圀は楠木正成をとても尊敬していたそうです。
ということで、傍には光圀公の像も在りました。
湊川公園
(2015/12/28撮影)
湊川神社から西に1キロほど移動すると、湊川公園が在ります。
意外と広い公園内を北側へ歩いていくと、ベンチで将棋を打つおっちゃん達の間に見えてきました。
大楠公像です。
皇居の楠木正成像に匹敵する大きさの像でした。
さて、像の付近には2つの石碑がありました。
左は『大楠公六百年祭齋行之碑』。
右は大楠公像についての説明が書かれているようですが、「昭和十年七月」と刻まれています。それにしては左の碑と比べてもかなり新しそうに見えるのですが、本当かなぁ。
桜井駅
(2016/8/6 撮影)
JR京都線の島本駅へ降り立ちました。
もう一駅で天王山のある山崎なので、ほぼ京都といった場所です。
駅前は綺麗に整備されています。
↑ 『車いす置場』まで用意されて整備の行き届いた駅ですが、 どこから持ってきたのかショッピングカートが放置されているところが残念。
ちなみに付近にスーパーは見えませんでした。
↑ 歴史アピールの強そうな町のようですので、期待できます。
そんな駅のロータリーに隣接する場所に桜井駅跡が在ります。
↑ 『史跡桜井駅址』と書かれています。
↑ 外から見た感じは、遊具の無い公園といった雰囲気。
入るとすぐに案内板が在りました。
なんだか色々とあるようです。
駅内に入ってひときわ目立つ大きな碑。
『楠公父子訣別之所』碑です。
この大きな碑の前から左を向くと、像が建っています。
『楠公父子別れの石像』です。
九州で軍を立て直し、京へとせまる足利尊氏の軍に対して、京へ引き込んで包んで叩くという楠木正成の作戦案は退けられました。その上で正成には、打って出て足利軍に決戦を挑むという酷な命が下されました。
死を覚悟した正成は神戸の湊川にて足利軍と決戦を行い、忠義を尽くして闘死することになるのですが、 その湊川へ赴く途中、この桜井駅で正成は息子の正行を河内へと帰しました。
そんな親子の別れが歴史の名シーンとして語り継がれ、この地に碑や像が建てられているのです。
他にもこの駅跡には色々なものが建てられています。
↑ 旗立松
↑ 手水鉢
↑ 明治天皇御製 碑
↑ 楠公六百年祭記念 石碑
↑ 忠義貫乾坤 碑
この桜井駅の『楠公父子別れの石像』ですが、四条畷神社に在った石像とうり二つでした。
こちらの方が古いので、同じものを複製して四条畷神社にも建てたのでしょう。
大楠公戦跡
(2017/8/9 撮影)
兵庫県の芦屋に近い、国道2号線沿いに在る『大楠公戦跡』です。
大楠公こと楠木正成と足利尊氏の軍が激突した地ということで、この碑が建てられました。
と聞くと、湊川の合戦を想像しがちですが、違います。
その前年に足利尊氏を京から西へ追い落とした時の合戦の地です。
↑ 昭和十二年 けっこう古い
地名が楠町ということからも察せられますが、完全に楠木正成ひいきです。
木製の案内板に戦の顛末が記されていますが、楠木勢を「官軍」、足利勢を「賊軍」と書いてあります。
石碑の隣にはかつて、この土地の所有者だった斉藤幾太氏の銅像が立っていた形跡が残っていますが、今は台座だけになっています。
大阪府護国神社
(2017/8/10 撮影)
護国神社といえば、砲弾の形や戦闘機のプロペラの形など、サヨクが見たら発狂しそうな慰霊碑が数多くあるのですが、 大阪府護国神社の慰霊碑の一つには、小さな楠木正成像が建てられています。
あくまでメインは慰霊碑の方なので、像のサイズはS、少しのっぺりした感じです。
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