北畠顕家を訪ねる

 

阿倍野神社 (2012/5/13撮影)

大阪は阪堺電車「天神の森駅」から少し歩いたところ、大阪市阿倍野区北畠3丁目に在ります阿倍野神社。
駅からの道中、少々道に迷いましたが、たどり着いた裏手のような場所から入ってみますと、さっそく出会えました。北畠顕家公の像です。



戦場を駆け巡って名をはせた北畠顕家ですが、お公家さまということで衣冠束帯姿です。


北畠顕家がこの地で戦死を遂げたということで、 阿倍野神社では北畠親房と北畠顕家の親子が奉られています。


↑ 由緒記として、顕家公の物語が書かれていました。 




北畠公園 (2012/5/13撮影)

大阪は天王寺から市バス「住吉車庫前行」にて揺られること約10分、「北畠公園前」で降りますとすぐに着きました。
大阪市阿倍野区王子町3丁目に在ります北畠公園。



公園としては遊具も少なく小さめですが、 ここに北畠顕家公のお墓が在ります。





ちなみに公園前の道路沿いに『北畠顕家卿之墓』と刻まれた石柱が建っています。 知らずに通った人は、コレが顕家公の墓だと勘違いするのではないでしょうか。




北畠神社 (2016/8/5撮影)

地図で見ると三重県の県庁所在地の津から少し南西に在るように見えたので、 夏休みのとある1日に気軽に津へと行ってみたのです。

津城跡で藤堂高虎像を見物した後、カーナビで「北畠神社」を指定しました。 津市街のメインストリートと思われる道路を南下し、「右折です」と言われたところまでは大きな道路だったのです。

あっという間に山道に入り、進むほどに道が険しくなっていきますが、もはや車を切り返して戻ることもできない道でした。

↑ こんな道と集落の繰り返しが1時間以上続きました。 

いくつの山を越えたでしょうか。 たどり着きました、北畠神社です。





そんな神社の境内に居られました、北畠顕家公です。



↑ 平成の作のようです。
まぁまぁ新しいですね。 

しかしこの銅像、阿倍野神社に在った像とうり二つ。 同じ型から作られたようにしか見えません。
この神社のように訪れるのが困難な場所ほど、ご褒美にオリジナルな像を置いていて欲しいものです。
とくに顕家は公家とはいえ日本史最強クラスの武将ですから、戦装束の像などにしてアピールすれば、 歴史好きが多く訪れるのではないかと思う次第です。


その他、この神社で見られる主なものです。





最後の上洛戦の時、顕家軍は京まで目前の近江で進路を南に変え、吉野経由で大阪阿倍野へと転戦していきました。
進路を変えた理由は謎ですが、ここに北畠家の本拠地が在ったということも少なからず要因となったのではないでしょうか。


↑ ちなみにこんな情報までが。
この中に像が在るのであれば、いつか行くのかもしれません。