宇都宮貞綱とは
 
 
鎌倉時代、世界を席巻したモンゴル帝国がついに日本へと攻めてきた大事件が『元寇』です。

二度にわたる侵攻の一つである弘安の役において、十六歳にして防衛軍の総大将に任命されたのが宇都宮貞綱でした。
宇都宮貞綱は山陽、山陰の御家人六万人を率いて九州へ向かったというのですから、その武勇の程がいかに評判だったかが察せられます。

ところが、この宇都宮貞綱率いる軍勢が九州へと到着するより前に、日本側は九州の武士たちの奮戦と暴風雨による打撃によりモンゴル軍を撃退してしまいました。

これにより宇都宮貞綱が軍勢を指揮をして戦闘を行った記録は残っていません。
当時にそうとうに勇名を轟かせていたことは判りますが、三国志でいうところの馬謖の件もありますので、ぜひ戦って強いところを見たかった人物であります。