天保山を訪ねる

 

天保山 (2009/1/18撮影)

我が日本で最も高い山は、言わずもがなのマウント富士。
普通の週末に昼から起きて気楽に登れるレベルのものではない。
いま冬山だし。

そこで今回は、日本一低い山を登覇してみようと大阪は天保山へ行ってみました。

家を出た時にはどんより曇り空でしたが、途中で雨が降ってきまして。。。
まぁ登山に試練はつきものですので、これくらいのハンデは受け入れますとも。

↑ 天保山の交差点。
ほとんどの人は左に曲がって海遊館へ行きますが、 あえて右へ曲がるのです。 

歩道に立てられた地図看板に公園らしきものが描かれていたので、そこに向かって数十メートルほど歩いてみると公園を発見。
園内に入ってみると、ちょっとだけ小高い所が見えます。


もしかして、あれが山頂でしょうか?
さすがは日本最低、ゴールが近い。

さっそく登山開始。


・・・・30秒後・・・・


登頂成功。

なにやら休憩所のような場所に着いたのですが、特に頂上を示すようなものが無い。
そんなものですか。


せっかくなので、園内をブラブラと探索してみますと、何やらデカい物が建っております。



明治天皇観艦之碑でした。
近づいてみますと、その傍らに地味に発見しました、 天保山の頂上です。


日本一の山を制覇した瞬間であります。



↑ ただココがさっきの休憩所(まさか展望台?)より低い位置に在るのは気付かなかったことにしよう。 

何だろう、日本一を経験したことで、人間としてひと回り大きく成長した感さえ漂ってきます。  間違いなく気のせいなのですが。


さらに周りを散策していますと、何と大きな銅像を発見。
なんだ、歴史あるんじゃないですか。
やっと歴史探訪部らしくなってきました。
で、どなた様でしょうか?




西村捨三翁・・・・・誰?

像の後ろに立て札が在ります。
西村捨三翁の功績やプロフィールが記されているのでしょうか。


立て札を読んだ限りでは、井伊家に奉公に行っていて、殿と共に毎日ここで休憩していただけの人なのですが。
しかし殿ではなく、付き人の方が像になるのはどう考えてもおかしいのです。
後ほど改めて調べてみます。


海に沿って公園内を少し歩きますと、小奇麗な階段を見つけました。


ここで気付きました。
もしかするとこちらが頂上への正規のルートだったのではなかろうかと。
それならば、改めて正規ルートで登頂せねばなりますまい。
さすがは日本一低い山、1分もあれば下って登りなおせました。



階段を下って、2・30メートルほど歩きますと正門に到着。完全に逆から回っていました。

ここは江戸時代から栄えていたということで、当時をうかがわせる絵が飾られておりました。



↑ 3つあった絵の中で、最も私の心をつかんだのは彼でした。 

以上が天保山公園の全貌です。
10分ほどで回ることができる公園でした。


そして、コレが登山証明書です。 ↓

↑ ちなみに、天保山は公式な山ということで、山岳救助隊が組織されているそうです。ただ、いかんせん4.5mの山だけに、2009年時点で救助要請はいまだゼロとのこと。 


最後に、上記で銅像を紹介しました西村捨三について調べてみました。
幕末の彦根藩士で、明治政府に入ってからは内務官僚、沖縄県令、大阪府知事、農商務次官などを歴任した立派な人でした。
大阪府知事時代には、天保山付近に海に面した大阪港を建設しようと奮闘されたそうです。
銅像の付近に立てられていた表札からは全く業績が分からないので、もう少し記載の内容を考慮すべきです。