巣鴨プリズンとは
 
 
昭和時代の初期、日本は大東亜戦争において連合国と戦いました。
支那、イギリス、オランダはものともしなかった日本軍でしたが、アメリカには物量や戦略などの問題で敗れてしまいました。

戦後、日本はアメリカによる占領政策を受けて主権を失いました。 そんなアメリカ進駐軍であるGHQは巣鴨拘置所を接収、 そこが日本人の戦犯を収監する巣鴨プリズンとなりました。

戦犯の考え方は半世紀以上経った今でも色々とありますが、ここではそれについては語りません。 事実として、多くの人が戦犯として収監され、最大時には1862人にのぼったそうです。

そんな戦犯の何割かは死刑判決を受け、実際に死刑が執行されました。


1952年4月、平和条約の発効により巣鴨プリズンは日本に移管され、以降戦犯達は釈放されていきました。

1958年5月、最後の戦犯18名が釈放されたのを期に、巣鴨プリズンは閉鎖されました。