野口英世とは
 
 
野口英世は明治9年に福島県で生まれました。
1歳の時に囲炉裏で左手に大やけどを負い、指同士がくっついてしまったため、左手が不自由な状態で少年時代を過ごします。

英世が15歳の時、やけどで不自由だった左手の手術に成功し、左手が使えるようになりました。この出来事を受けて、英世の医学への憧れは膨らみ、これ以降は医学と、医学に必要な英語・フランス語・ドイツ語の猛勉強に明け暮れます。そして、20歳で医師免許を取得しました。

上京した英世は「近代日本医学の父」こと北里柴三郎の伝染病研究所に助手として入所しました。ここで細菌について学び、1900年に単身で渡米して蛇毒研究に従事します。
1904年にはロックフェラー医学研究所の一等助手として梅毒スピロヘータの研究に打ち込みました。

当時の世界にはまだまだ原因不明の伝染病が多くあり、英世はそれらの解明のために心血を注いでゆきます。


1927年のこと、アフリカで研究を行っていた仲間の研究員が黄熱病で亡くなったという知らせが英世の元に届きました。英世はアフリカへと乗り込み、黄熱病の研究に従事します。
しかし翌年、西アフリカのアクラという所で研究に取り組んでいる時に、英世自身もに黄熱病に罹患してしまい、亡くなってしまいました。 享年51歳。