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我が日本で最も高い山は、もちろん『マウント富士』。
普通の週末に昼から起きて気楽に登れるレベルのものではない。
いま冬山だし。
なので今回は、日本一低い山を登覇しようと大阪は天保山へ行ってみました。
家を出た時には曇り空でしたが、途中で雨が降ってきまして。。。
まぁ登山に試練はつきもので、これくらいのハンデは受け入れますとも。
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天保山の交差点。
ほとんどの人は左に曲がって海遊館へ行きますが、
あえて右へ行ってみる。
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歩道の地図看板に公園らしきものが描かれたていたのでほんの数十メートルほど歩いてみると、公園発見。
さらに少し進むと公園内にちょっと小高い所が在りますな。
もしかしてコレですか?
さすが日本最低、ゴールがあんなに近いや。
さっそく登山開始。
・・・・30秒後・・・・
登頂成功。
なにやら休憩所のような場所に着いたのだが、特に頂上を示すようなものが無い。
ここじゃないのだろうか。
周辺をブラブラしてみると、何かデカい物が建ってますよ。
近づいてみるとその傍らに、地味に発見!
天保山の頂上。
日本一の山を制覇した瞬間である。
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ただココがさっきの休憩所(まさか展望台?)より低い位置に在るのは気付かなかったことにしよう。
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何だろう、日本一を経験したことで、人間としてひと回り大きく成長した感さえ漂っているのは。
間違いなく気のせいなのでしょうな。
さらに周りを散策すると、何と大きな像を発見。
何だ、歴史あるんじゃないですか。
やっと歴史探訪部らしくなってきましたよ。
で、どなた様でしょうか?
西村捨三翁・・・・・誰?
象の後ろに立て札が在る。
西村捨三翁の功績やプロフィールが記されているのだろうか。
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立て札を読んだ限りでは、井伊家に奉公に行ってて、殿と共に毎日ここで休憩してただけの人なのですが。
殿ではなく付き人の方が象になるのはどう考えてもおかしい。
後でまたウィキペディアで調べてみるか。
海に沿ってまた少し歩くと、小奇麗な階段を見つけた。
ここでピーンときたね。
もしかするとこっちが頂上への正規のルートだったんじゃなかろうかと。
ならばちゃんと正規ルートで登頂せねばなるまい。
さすが日本一低い山、1分もあれば下って登りなおせた。
最後に2、30メートルほど歩くと正門に到着、完全に逆から回りました。
江戸時代から栄えてましたよってことで、当時をうかがわせる絵が飾られておりました。
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← 3つあった絵の中で、最も俺の心をつかんだのは彼でした。
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以上が天保山公園の全貌。
10分で回れるちょっとした公園でした。
で、コレが登山証明書 ↓。
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ちなみに、山ということで山岳救助隊も組織されているものの、4.5mの山だけに救助要請はいまだゼロらしいです。
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最後に、上で出てきた西村捨三について調べてみた。
幕末の彦根藩士で、明治政府に入ってからは内務官僚、沖縄県令、大阪府知事、農商務次官などに就任したけっこう偉い人でした。
大阪府知事時代に天保山付近に海に面した大阪港を建設しようと奮闘されたそうです。
銅像のところの立て札からは全く業績が分からないので、何か説明書きでも造っておくべきではないかと。
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