伊能忠敬を訪ねる

 

佐原 (2025/4/30撮影)

千葉県の佐原は伊能忠敬が前半生を過ごした地。そしてこの地には四体の伊能忠敬像があるということで巡ります。
佐原のやり手の商人を引退し、地元の佐原を離れて移り住んだ江戸で暦学を学び、精巧な地図を作ったことで歴史に名を刻んだ伊能忠敬が地元佐原ではどのような像になっているのか。

JR成田線の佐原駅。
この佐原駅西口ロータリーに伊能忠敬像が立っています。



台座には『伊能忠敬翁』と記されています。






測量スタイルの伊能忠敬です。やはり地元でも地図作りの旅をする姿が像になっていました。



次に佐原駅から南へ約300m、佐原公園に二つ目の伊能忠敬像が立っていました。


佐原にある四体の像の中では最も大きいのがこの像です。





遊具も少ない小さな公園で、この像のための公園といっても過言ではありません。


ちなみに佐原公園のお隣は諏訪神社という神社。細長い石段に誘われて上ってみますと、やはりその名の通り、タケミナカタを祀る神社でした。



閑話休題、進路を東に向けて15分ほど歩きますと、小野川を挟んで『伊能忠敬旧宅』と『伊能忠敬記念館』が向かい合う場所に着きました。


まずは無料で見学できる伊能忠敬旧宅の裏庭に三体目となる小さな伊能忠敬像がありました。


ここで遂に、測量をしていない伊能忠敬像が現れました。流石に実家ということで、ここに住んでいた頃の商人の伊能忠敬の姿でしょう。





そして、こちらが伊能忠敬記念館の裏手の駐車場に立っていました四つ目の伊能忠敬像です。
↑ 背後の建物が伊能忠敬記念館です。 

これは銅像ではなく石像ですね。





ふっくらして若そうに見えることからも、この像も商人時代の伊能忠敬だと思われます。


佐原は千葉県でも太平洋寄りの東京から少し離れた位置に在りますが、江戸時代には「小江戸」と呼ばれて人口の多い輸送の要所として栄えました。 現在でも小江戸の名残のある街並みです。






門前仲町 (2022/10/26撮影)

東京都江東区は門前仲町駅から東へ歩いて約5分の富岡八幡宮です。



ここの境内に『伊能忠敬像』があります。




五十五歳にして日本地図の基となる測量の旅に出た伊能忠敬の姿です。



次に門前仲町駅から北西の方へ、こちらも5分ほど歩きますと、『伊能忠敬住居跡』と記された碑が立っています。



もともとは千葉県佐原の商人だった伊能忠敬は四十九歳で隠居して、五十歳でこの地に引っ越してきました。
そこから天文学や数学などを学んで正確な日本地図を作り上げていった忠敬。同じ日本人として見習うところが大きいです。