武蔵坊弁慶とは
 
 
破戒僧の武蔵坊弁慶には、道を通りかかる武士を襲っては、その者が持つ武器を奪ってコレクションに加えるというタチの悪い趣味がありました。 集めた武器はすでに九百九十九本。 そして、弁慶が記念すべきコレクション千本目の相手として目を付けたのが、笛を吹きながら通りかかった牛若丸こと源義経です。
場所は京の五条大橋、弁慶の攻撃を軽やかにかわした義経に返り討ちにされた弁慶は、義経の家臣に加えてもらいました。

以上が弁慶と義経の出会いの伝説ですが、いかにも創作くさい話です。


平家追討の命を受けた源義経が連戦連勝を重ね、ついに壇ノ浦にまで平家一門を追い詰めて滅ぼした源義経の戦いに、弁慶は付き従いました。
そんな英雄義経が逆に兄の源頼朝から追討を受ける身となっても、弁慶は義経から離れることはなく奥州への逃避行に従って活躍しました。


義経主従は奥州にて藤原秀衡にかくまわれますが、やがて秀衡は亡くなって、嫡男の藤原泰衡の代へと替わります。
亡き秀衡は鎌倉の頼朝に対しては強硬な態度で、いざとなれば一騎当千の義経を担いで対抗しようという姿勢で臨んでいましたが、泰衡は腰が引けていました。
泰衡は鎌倉からの圧力に堪えきれず、義経主従を殺害して頼朝に降伏する道を選びます。

裏切られた義経主従に泰衡の軍が襲いかかりました。
弁慶は義経の盾となり、体に無数の矢を受けてハリネズミ状態となりながらも、立ったまま絶命する壮絶な最期。
この様は「弁慶の立ち往生」とよばれています。