柔然が悪口に聞こえない
 
 
「わびさび」という言葉があります。 これは「わび(詫び)」と「さび(寂び)」を合わせた言葉です。 詫びとは、気落ちする・悲嘆・鬱々といった意味があり、寂びとは、古びる・色あせる・枯れるといったことを意味します。 そんなどちらもネガティブにしか聞こえない二つの言葉を合成して「わびさび」という言葉を作った室町時代の日本人、 相乗効果でさらに酷い意味の言葉になるかと思いきや、 「移ろいでゆくものへの美しさや儚さやや寂しさなどが入り混じった言葉にできない感情」 という1周回って趣ある良い意味に昇華しています。


さて、前回のコラムでは、かつての遊牧民族の名前は、支那の史料に残されている名称が一般的に採用されているため、 差別的な文字があてられているという話が出ましたので、もう少し遊牧民族について書いてみます。

春秋戦国時代から漢を経て三国時代と、整備された都をはじめ多数の都市を持つ大帝国が存在し、 その帝国の周囲には、辺境を渡り歩く遊牧民族が暮らしていた。
このように書くと、いかにも高度な文明を擁する支那国家が上位で、遊牧民族が下位に見えますが、まったく違います。 遊牧民族はめちゃくちゃ強いのです。

戦国時代を終わらせた秦の始皇帝は、匈奴が南下してこないように、壁となる万里の長城を築きました。 そして支那を統一して漢を建国した劉邦は、その勢いを駆って匈奴討伐の親征を起こすも、 白登山で匈奴軍に囲まれてしまい、毎年貢ぎ物を送ることで許してもらっています。 また、三国時代を制した晋は、間もなく多数の異民族の侵攻を受けて五胡十六国に突入、 隋や唐を建国したのは遊牧民族の鮮卑です。
時は下りますが、世界を蹂躙したモンゴル帝国もモンゴル高原から飛び出した「蒙古」と呼ばれる遊牧民族です。 東アジアから西のヨーロッパまで、ユーラシア大陸のほぼ全域を征服していき、 ヨーロッパ連合軍をワールシュタットの戦いで鎧袖一触に叩き潰しています。 そんな蒙古も「おろかで古い」という意味なのだそうです。

五胡十六国時代に遊牧民族たちが支那に侵攻して割拠したため、モンゴル高原が空白になりました。 するとここに新たな遊牧民族が興りました。「柔然」といいます。
後の蒙古に匹敵する強さで世界へ与えた影響も多大な遊牧民族の「突厥」に滅ぼされるまでの約百年間、 柔然は君臨していました。

柔らかいに自然の然で「柔然」です。
支那はどうしたのでしょうか。差別的な文字どころか、良い名前に見えます。 本当の意味は知りませんが、他国への悪意のあて字が過ぎて、1周回って良い意味になったのでしょうか。 何となくわびさびすら感じてしまう名前です。

 

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