|
|
|
|
ヤマト国の姫巫女 |
|
|
|
古代の日本は「倭(わ)」とよばれていました。この倭という字には、支那のことばで「チビ」という意味なのだそうな。
世界史の本などを見てみれば、支那の古代王朝の周辺に割拠する遊牧民族は、匈奴・鮮卑など、
これまた差別的な意味しかないような漢字を使った国名(民族名)となっています。
どう考えても自らそのような名前を付けるわけがなくて、これらは支那の当時の王朝が名付けたものです。
支那王朝では、他国や他民族を記す際には、このように悪口のような字をあてる習慣がありました。
支那は文字の発明が早く、紀元前に書かれた書物まで残っており、そこに上記のような他国(他民族)の名が記されているのです。
一方、他国(他民族)の側にはまだ文字が普及していなかったので、彼らが自国を何と呼んでいたのかが不明であるため、
今でも支那側の呼称が正式採用されているのです。
しかも、文字を持たない民族が言葉でのみ名のるので、当時から正式な字は決まっていないわけです。
なので支那王朝が文書に残すとき、適当な字をあてるのです。本来は名前には由来となる意味があるはずですが、
支那側にそのようなことを忖度する気心もなく、意地悪な字をあてているのでしょう。
そう考えると、あてられた字には悪意しかありませんが、読み方は正解に近いのではないでしょうか。
日本最初の憲法である十七条憲法の第一条で「和を以て貴しとなす」とあるくらいですから、
日本は古代から各部族間でも基本的には話し合いで解決することが多かったのだとすると、
自分たちを「和」とか「輪」という意味で「わ」と呼んでいても不思議ではないと思います。
支那の晋王朝で書かれた三国志の魏志倭人伝でも日本に関する記述として、邪馬台国の卑弥呼の話がありますが、
これもシンプルに考えれば、当時まだ文字をあやつらない日本人が、
「われわれはヤマトの国から来ました。われわれの主は姫巫女(ひめみこ)です」と語ったものに「邪」や「卑」の字をあてられたように見えます。
|
|
|
|
|